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そう言えば、私、自分のHPのメンテナンスに取り組んでいたはずなのですが、こちらのblogの記事のほうがどんどん増えてしまって・・・、何とか追いつかなくてはと焦っています。 それはさておき、昨日の続きです。 3)のパターンで結婚した兄の話です。 兄は二人いて二人とも日本人の女性と恋愛して、結婚しました。先にお話しておきますが、兄と私は、「在日民族色」みたいなものが全然違います。私は濃い色で、兄は薄い色。どちらが良いとかそういうのではありません。私は韓国に留学した経験があったり、韓国の伝統文化や礼節などに興味があり、自分の生活の中にも取り入れたいと思っていますが、兄はそういうことには全く興味を持っていません。特に上の兄は、アメリカへ留学したり、仕事で海外に行くたびに、在日として韓国のパスポートを持っていることに大変な不便を感じていました。下の兄は韓国へ行ったこともありません。二人とも「効率の良さ」を優先するタイプで、そういうことから、日本への帰化を選択しました。私とは違い、彼らはちゃんと方向性のある‘答’を出せたわけです。 上の兄の結婚の場合は、父が絶対的に反対していました。父も長男で、兄も長男なので、とにかくそんな事考えられなかったようです。父はその日本人の女性(義姉のこと)の女性の事が気に入らなかったのではなくて、日本人と結婚するという事を理解できなかったので、義姉に会うことすら逃げていたようです。多分、在日2世で長男の父にとっては、『御家断絶』の恐怖を感じていたのでしょうね。兄はそれでも父の説得を続けていましたが、あるとき、『勝手に結婚するから、お前、あと宜しくな』と弱気な発言をしていました。私も、兄が日本人と結婚を考えていると聞いて、「またまたぁ~、そんな事出来るわけないじゃんねぇ」と反対とかではなく、普通にそう思っていました。 それが、ある時、実家へ帰ると父が、『お前のお兄さんは、このたび、婚約する事になりました』と。 「はぁ~、なにそれ???」と思い、いろいろ聞いてみると、陰で母の働きがあったようです。母は兄の理解者で、父を説得するのは到底無理だと考え、先に、大阪・神戸・京都に住んでいる父の兄弟姉妹のところへ一人で廻り、兄の結婚を理解して欲しいとお願いをしていました。いつもはのんびり屋の母ですが、やるときはやるのです。父も、結婚していいか?と相談を受けているうちは反対も出来ようが、決めてしまったことについては、何も言えないと思ったらしいです。そこからは、順調に進みました。お義姉さんのご両親はとても紳士的な態度で、在日色のきつい父に対応してくださいました。なんだか、申し訳ないくらいでした。 結婚式はチャペルでウェディングドレス、披露宴もドレスでした。白無垢とか色内掛けとか着ればいいのに、と勧めたのですが、『似合わないから』との理由で着物はなしでした。列席者の席次表は、うちの親戚用の韓国式のものと、その他のお客様用の日本式のものと両方準備しました。韓国式のものには、親戚の名前が本名で書かれていて、日本式のものには通名で書かれていました。これは単に、父の顔を立てるためのものです。チョゴリ組もごくわずかでした。私はビデオを撮るのに必死だったので、お料理は忘れましたが、フランス料理のコースだったような気がします。最後の挨拶で、父は完璧な挨拶をし、正面、上手、下手の三方向へ頭を下げました。自分の事でなく、兄とお嫁さんの事を一番に考える事ができ、上出来でした。兄の職場の人や、お義姉さんの親戚に対しての礼儀を表せてよかったなぁと思いました。実のところ、何か余分なことを言い出すのではないかしら・・・と、ヒヤヒヤしていました。ビデオを撮りながら、ほっとしたのと、ちょっと感激したのとで、泣けてきました。 その後、結婚式の一連の行事の締めくくりとして‘お嫁入り’をしました。うちの場合のやり方なので、本来はどうなのがわかりませんが・・・、新婚旅行から帰ってきてお婿さんの実家へお嫁入りをします。お義姉さんは旅行から帰ってきて自分の実家へ帰り、次の日の朝、我が家(実家)へやって来ました。この日のために母はお義姉さんに鮮やかな緑と赤のお嫁さんカラーのチョゴリを作ってあげていたのでした。お義姉さんはスタイルがいいので、とっても似合います。お義姉さんのご両親はその姿を見てどのように思ったのでしょうね。やっぱり、ちょっと、淋しかったでしょうね。どうかなぁ。 家に入る前、何処で手に入れたのか、‘わら’に火をつけ、それをまたぎます。お嫁さんは手をチョゴリの袖にいれ、更にその上から白い布をかぶせて手を使えないので、介助する人が必要です。当然、私の役目です。こういう時、下っ端の私は役割が多くて大変です。その後、お義姉さんと兄は、親戚の前で韓国式のお辞儀をしてゆきます。その時に、姑、小姑、そして伯母、叔母などが余分な事を言わないように、口封じのために、飴を入れます。私は大阪の伯母に「あんたは、二つくらい入れとき」といわれましたが、伯母さんこそ、三つくらい入れといてよ、って思いました。そうしていきながら、それぞれにご祝儀を貰い、それが当面の生活費になるようです。上手くできてますね。その日の夜は、お嫁さんとお姑さんと一緒に布団を並べて寝るらしいけど、我が家の場合はやりませんでした。先に結婚したいとこのお嫁さんはやったらしく、目が覚めたらお姑さん(大阪の伯母の事)がじっと見ていたそうです。・・・怖いですね・・・。 お義姉さんの家の‘やり方’が違うからと、ちょっとちょっと、文句も出ましたが、それはこちらも同じことで、何しろ、日本人との結婚が、我が親族では初めてのことだったので、何処まで今までどおりやって、何処から遠慮しなくてはいけないのか、戸惑いがあったようです。 いま、兄たちはとても仲良く暮らしています。有難いことに、でっかい家を建てて両親と暮らしてくれています。ですが、時々、ご隠居さんがくだらん‘在日色’を出してきます。お義姉さんよりも私の方が先に腹が立つほどです。 もう一人の兄の方は、ちょっと洒落にならないので詳しく書けませんが、お嫁さんのご両親の方が猛烈な反対で、それは今も続いています。結婚式にも来てくれませんでした。私たちの方も、家族だけで参列しました。この兄の時は、父も特に意見はなかったようです。向こうのご両親に反対されて『うちの息子の何が気にいらんのや』と、自分のしてきた事を棚に上げて怒ってました。情けないです。 式はガーデンウエディングで、手伝う事などもなく、楽々でした。チョゴリも着ませんでした。お嫁さん、とっても綺麗だったから、せめてその姿だけでも、ご両親に見せてあげたかったです。とても仲良く、幸せそうに暮らしているのに、どうしてこんな事になっちゃってるのでしょうね。何とかなるといいなぁ。本当にそう思います。
by CHEDS
| 2005-03-26 22:34
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